I'm not nameless.

吉澤閑也くんとギターロック

17歳5か月

らしいです。健康診断のカルテにそう書いてありました。新生児ならいざ知らず、17年も生きてたら普段そこまで意識しないからなあ。

なぜこんな早朝に、突発的に文章を書き始めたかって言うと、今しがた某文章を読んで嗚咽を漏らしたところでして。それに触発されてってわけでもないんだけどね。
単純に、このまま行ったら月一でしかブログ書かないままになっちゃうだろうなと。とはいえここの更新頻度なんか、一部の好きものを除いて誰も興味ないわけですけれど。…だって私がいちばん興味ないですもん。
当たり前だけど私は自分自身がコンテンツになってるわけじゃないし、クリエイターとしてやってく素質も覚悟もなければ、大前提として「そのつもり」がないので。日常を綴るだけなら日記帳で事足りますし。

なんか書けば書くほど空っぽになっていく感覚がする。まあいいや。続けます。

最近ブログに自分のことをあんまり書いてないことに気付いた。厳密に言えば書いてはいるんだけど、ちゃんと書いてないなって。

ツイッターの友達がちょいちょいブログを始めていて、そのたびに私もちょいちょいリンクを貼っています。私のブログを読んでる好きものは、恐らく一回くらいはリンクをクリックしたことがあるでしょう。というかもうそういうことにして続けさせてください。
彼女たちの書くブログには、日常のこととか恋のこととか、色鮮やかなエピソードが並んでいて、そういえばブログってそういうものだったなと物思いにふける日々です。
私も以前のブログにはその日の出来事やら考えたことを吐きだしたりやら、いろいろ書いてたんですけどね。中3の頃だから、まあイタイ内容でしたよ。恥ずかしすぎて、随分前に読み返したとき消したのでもう残ってないです。後の自分が読み返せないようなことを、どこの誰かも分からんよそ様に読ませんなって、その時ちょっと腹が立ちました。
…その失敗をしたくないっていうのもあるけど、単純に生活に張りがないので書いても面白くなくて。
起きて、ご飯食べて、ギター弾いて、どの服を着るか迷って、出かけて、システム手帳いじって、ギター弾いて、録りためてたラジオを聴いて、だいたい何するときもスマホ片手で。日によってはギター担いで外に出ますけど。
バイトが始まるまでのニート期間である今は特に退屈。このところ、聴く音楽もshepherd一辺倒だし。その容量ギリギリのウォークマンは何のためにあるんだって話ですよ。



高校を退学したのは、単純に合わなかったってことに尽きるんですが、どうせダブるなら浪人してでも第一志望校行ってればよかったのかもな。
頭が良くて面白い人たちと一緒に過ごしたかったし、そのために頭をよくしておけばよかった。趣味が合う人なんていなくても、バンドやりたかったなあ。漫画みたいなキラキラの青春はちっとも魅力的に映らないから、カーストの下の方でくすぶりたかった。イヤホンを耳に突っ込んだまま、ひとりでぼさっと立っていたかった。音楽なんて興味ナシみたいなクラスメイトをこちら側に誘い込んで、最終的に音楽の道を志すくらいに人生を狂わせてやりたかった。サブカルクソ女もしくは男の友達が欲しかった。その友達と気持ち悪いくらいディープなサブカルを漁って気持ち悪がりたかった。恩師に出会いたかった。年相応の恋をして、実らないままそれを引きずって一生を過ごしたかった。いろんな創作をしたかった。卒業式の帰りに「butterpink,endroll」を聴いて泣きたかった。カフカに出会ったのは中3の春休みだけど、LOWNAMEには制服姿で出会えたらよかったのに。当時の彼らが何て言われてたかは一応知ってます。でもノブコフさんも「偽物に愛を注ぐのもまた一興」って言ってたから、私もそうなのだろうと信じてる。
人生が一番輝いてた小4の頃の私に、私は顔を合わせられるだろうか?

去年の春、当時はまだ通っていた高校の音楽教師に「君は早く大人になり過ぎたんだよ」と言われた。その言葉に「いやいや、年齢に精神が追いついてない上性格が悪い私みたいなガキそうそういてたまるかよ」って思った。
事実そうでした。それは今も変わってない。
でも自分を客観視してみると、先生に言われたことがまったくもって見当外れかといえばそうでない気もします。というか年相応の人間性と、そこにくっついてくる面白みが私には一切なかった。10代の反骨心なんか腹の足しにもならんから、ずっと嫌いだったし。大人が居なきゃ正常な生活すら遅れないくせに、デカい口叩くなんて正気か、って割とマジに思っていました。そうこぼしたとき「そのジレンマが苦しいんじゃないの」と母は言ったけど、私にはピンとこなかった。ひがみって思われそうだけど、実はこんなザマになる前からそうです。曲がりなりにもロックを聴いているくせにね。

高校生活の中で最も印象的だった出来事は、遠足で行った遊園地がどうにもつまらなくて、ずっと友哉さんのブログを読んでたことでした。スマートフォンが普及した時代に10代を生きていることは、私にとって不幸だったのかもなって思ったりもします。まあ、そうでなくちゃTwitterの友達にも出会えなかったんだけどさ。向こうがどうかはさておき、私は彼女たちが大好きだよ。
ひとつだけ、高校をやめた日に最後の制服姿で街をうろつきながら「DAY DREAM BEAT」を聴いて号泣することだけは出来ました。それが少しうれしかったし、そんな自分が空しくもあった。ハンブレに罪はないです、もちろん。

ここまでの文章を読み返して、自分が本当につまらない奴である事実から目をそむけたくなります。褒められることがないわけじゃないけど、せいぜい「声がいいね」と「お洒落だね」くらいだし。声は私のコンプレックスの中でも最大の規模を誇るし、お洒落なのはそれを選んだ私じゃなくて服を作った人だろう、と思ってしまう。…そうやって素直に褒め言葉を受け止めないから、他人を信じられないし友達も出来ないんでしょうね、きっと。

以前のエントリでちょっと書いた「あの人」のことが好きなのは、誰かのことを一つずつ知っていく作業が、彼以上に楽しい人がいなかったからです。秘密主義な人だそうだしね。どうすればあの人みたく魅力的な人間になれるのか、彼の書いた言葉を読み返すたびに考える。
性格が悪い自覚も人間として最底辺にいる自覚もありますが、じゃあどうやってここから這い上がれるのかという、その方法が分からない。
だから最近は出来るだけ人と会うようにしています。知り合いに音楽をやってる人が増えたのもそれが理由。たまに「ライヴしてみたらいいのに」と言われますが、そこまではまだ足がすくんでしまうというか。他人の歌しか歌えないし、まず歌もギターも下手だし。ってかそんなこと言ってちゃ一生無理だぜ、私よ。


あ。ひょっとしたらこのブログをそのまま曲にすればいいのでは?


…この予想だにしないところに着地した結論はなんなんだ。とんだ茶番ですこと!
といいつつ、実はここまで書き上げるのに夜を三度費やしているので、あまり新鮮味のある感情では無かったりします。ファッキン遅筆。でもって予想以上に少ない字数でカタがついたのもまた滑稽に感じますね。

とりあえず己が今第一にやるべきは東京行きの準備である、それは痛いくらい熟知しているので、しょうもないことをグジグジグジグジ考え、それを活字にしたためる夜は今日で終わりにしてしまいます。
相変わらず文章のまとめの部分がド下手ですね。数書いて上達するよりないのでしょうか。それでは皆様、月末にまた会いましょう。